1、3月20日〜 カトラゼク・ステファン 宮城県各所にてCRASH JAPANの調査活動に参加
2、3月24日 大倉寧 福島県いわき市平キリスト福音教会他に物資輸送 現地教会状況視察・ボランティア活動受入交渉実施 (JECA青梅キリスト教会の働きとして)
3、3月26日〜 カトラゼク・ステファン 茨城県日立市のCRASH JAPANベースキャンプを拠点に主に福島県いわき市周辺の物資輸送活動に従事
4、3月28日〜31日 大倉寧 福島県いわき市 日本同盟基督教団:勿来キリスト福音教会、湯本キリスト福音教会 の物資輸送(平キリスト福音教会)・物資配給・炊き出しの働きに派遣 (JECA青梅キリスト教会の働きとして)
5、4月 大倉朝子 宮城県石巻市 基督兄弟団石巻キリスト教会の地域支援活動について・支援関連団体との調整を実施 (・日本同盟基督教団 ・グレイスシティーリリーフ・CRASH JAPAN等)
6、4月11日〜15日 宮城県石巻市(女川町含) 基督兄弟団石巻キリスト教会による地域支援活動にOBCチームとして加わる
参加:カトラゼク・ステファン、佐々木信、大倉寧、大倉朝子
外部協力:小谷雅彦兄(JECA青梅キリスト教会)、
小田切武兄(JECAおざく台キリスト教会)
廉 成俊宣教師(JECA青梅キリスト教会宣教師)
伊藤モニカ姉(JECAたまプラーザキリスト教会)
7、4月19日〜23日 宮城県石巻市及び女川町地域 基督兄弟団石巻キリスト教会による地域支援活動にOBCチームとして加わる
・ハリス・ブルース、ローラ・ハリス、カトラゼク・ステファン、佐々木信、大倉寧、大倉朝子
・外部協力:竹内晃二兄(JECA生田丘の上キリスト教会) 小谷雅彦兄(JECA青梅キリスト教会)ステイス・ダーウィン宣教師(センド国際宣教団、JECA西堀キリスト福音教会)
「一人暮らしのおじいさんを助けてあげて欲しい」
おじいさんの家は、教会の目と鼻の先、私たちが炊き出しの作業をしているキッチンの目の前の家でした。
数人が見に行ってみると、81才のおじいさんの家は、当然津波で浸水していたので、畳も洋服も家財すべてが濡れ、そのままの状態で生活し濡れた布団で寝ていたのです。
一度は避難所に行っていたものの、迷惑をかけたくないと自宅に戻って来たそうです。
ガラスは割れて、電気はつかず、湿った生臭い部屋で一月半もの間、誰にも気付かれることなく暮らしていたのです。
何とかしなければ・・・。
丁度私たち以外にウィクリフの宣教師のボランティアチームが、次の日の午前中11時半までの予定で石巻に泊まっていました。
時間がないので、そのチームは朝7時から作業を開始するとの事。OBCのチームは森郷キャンプ場に宿泊していたので、早朝6時と7時の2つのチームに分かれて出発しました。
いつもの通り三陸道の渋滞にはまり、6時発のチームがついた時には、畳が外され掃除が始まっていたそうです。
驚くほどの作業の早さ!実は、そのチームの殆どは若い大工さんだったのです。
(私達のチームだけでは、決して1日で終えられる作業ではありませんでしたし、配給もなく細かい予定も立てていなかったところに、神様がすべて備えてくださっていました!)
7時発のチームが辿り着いた時には、泥を拭き取る掃除までほぼ終わっていました。ウィクリフチームは時間が来て帰って行きましたが、またそこからが大変でした。おじいさんは固く心を閉ざしていて、こちらのしていることは喜んでいなかったのです。
おそらく震災後一度もお風呂に入っていなかったので、市の職員が来て避難所のお風呂に連れて行くといっても断固拒否。
1日がかりで、電気工事、割れた窓を塞ぎ、なんとか住める状態まで整えましたが、すべてを拒否していたおじいさんの為に、最後にどうやってベットと布団をセッティングするのか・・。
かけ付けて来ていた保健婦さん達にお願いして、おじいさんを家の外に誘い出してもらいました。
その間、みんなで一斉にベットなどを運び込んで、一気にセッティングをしていると、おじいさんが戻ってきてしまいました。
まずいな・・・。でもおじさんは私たちが用意した新しいスリッパを履き、部屋に入って新しい布団の敷かれたベットを見ると、それまでにはない満面の笑顔を見せてくれました。
本当にうれしそうな笑顔でした。
保健婦さんに聞いた話では、娘さんや息子さんが東京にいるのですが、震災後一度もおじいさんには会いに来れていないそうです。
震災で受けた恐怖、寒さ、電気のない暗闇、そして家族にあえない孤独。おじいさんの心が固く閉ざしてしまうのも無理はありませんでした。
おじいさんの大家さんの家もその他のまわりの家も良くみるとみんな留守で、津波が浸水したまま避難してそのままの状態の家ばかりでした。
明るく熱心に対応してくださっていた一人の保健婦さんに、「ご自宅は大丈夫ですか?」と訪ねると、「父も母も流されました」と。
その旨を伊藤牧師に伝えると、彼女達の為に祈ってくれました。突然のことでびっくりしてるんじゃないかと目を開けるとお二人とも泣いていました。
石巻の市内も徐々にお店が開き、日常を取り戻しつつあるように感じられ、先週は、物資を供給していた倉庫の方にも、「お店が開いているのにまだ物資が必要なのですか?」と言われてしまったそうです。
私たちも、目の前にこんなふうにおじいさんがひとり孤独に暮らしているなんて、まったく気がつきませんでした。
被災地での本当の戦いは、これからではないでしょうか。厳しく長い戦いです。
石巻キリスト教会では、先日イースター礼拝に40名前後の新来会者が与えられ、主のご臨在を喜びましたが、当然全員が被災者であり、伊藤先生始め教会のスタッフはみな、そこに与えられた責任の大きさを受け止めきれるか苦悩しています。
先生方ご自身もみんな被災者です。3・11の震災から全く休んでいません。余震も続いて血圧もあがっています。
肉体的にも精神的にも、いつか急にダウンしてしまうのではないか・・・。また神様が祝福されているなかにあるからこそ起きる霊的戦いも大きいです。
しばらくは、現地にいって直接ボランティアに入ることはできませんが、日々被災地に想いを寄せて、働かれる先生方の支えと、被災者おひとりおひとりに主に在る生きる望み、永遠の命への救いがあることを祈りつづけて行きたいと思います。
作業が続く室内を不安そうに見る木村さん(おじいさん)を和ませようとお話する伊藤牧師と保健婦さん達。
本当に古く小さな教会で、昨年前任の先生が召され、50㌔以上離れた仙台教会の伊藤牧師の兼任が始って間もなくうけた震災でした。
経済的にもとても貧しく、謝儀はなく交通費さえも牧師が自己負担しつつ仙台から1時間かけて通い支えてきたところで受けた被災。
数少ない会員の多くは、石巻よりも被害の大きい女川地域の方で、お一人はご主人の目の前で車に乗ったまま流され、未だ行方不明です。
教会は天井まで浸水して、泥まみれになり、教会の持ち主であり住人だった会員は、教会の取り壊しを望んでいました。
震災から1月半が経過しても、まわりの住宅は全く手つかずで、時間が止まったように放置された家が残るような地域で、真っ先に伊藤牧師が立ち上がり、家族が支えるなか、物資の配給炊き出し、こころの癒しの場として用いられています。
ただでさえ負担の多かった教会です。仙台教会も被災していて大変だし、石巻キリスト教会はもう終わりにする良い機会だと考えても、実際教会を閉じてしまっても誰も文句は言わなかったと思います。
そんな教会に今、連日数百名が訪れ、物資の配給だけでなく様々な形で用いられ、なんと明日は震災後初めての礼拝、しかもイースター礼拝が行われます。たくさんの方が、ぜひ礼拝に来てみたいと楽しみにされているそうです。
日本中には小さく貧しい教会がたくさんありますが、そこに集うおひとりおひとりの尊いたましいがあります。そこで働かれる牧師先生の上に日々支えがありますように、明日のイースター礼拝の祝福を祈ります。