「 タイガーマスク運動」について コメントすべきかな〜? 児童養護施設への寄付をめぐって

 以前に児童養護施設で働かせていただいた関係で、いわゆる「タイガーマスク運動」というものについてコメントを求められることがあります。

 施設の方では経理と庶務を担当する書記という立場から、後に児童指導員として、5年ほど勤めておりました。
私にとっては、たいへん貴重な経験でしたし、社会に本当に必要なことで、また、キリスト者としての献身の中でされるべき仕事だと思わされました。 あの5年間を振り返るとむしろ自分の弱さが顕著に現れ、足りなさを覚えさせられることばかりでした。
 一時は、この働きをずっと続けることも考えたことがありましたが、別の使命が与えられるなかで、現在があります。

 当時、「yasokさんは何やっているの?」と聞かれて「児童養護施設で働いています」と答えると、「障がい者関係の施設ですか?」と言われる通り、「養護学校」と混同されることが少なくありませんでした。
 ですから、昔は「孤児院」と言われたところの働きを担っている施設であることを説明すると理解していただけました。

 この「タイガーマスク運動」によって「児童養護施設」について、社会的に理解が深まったことは純粋に良いことだと思います。
 そして、当然なのですが、寄付が増えていることは喜ばしいことです。


 ただ、もう辞職してから10年も経っているので、現状を理解出来ていないかもしれませんが、私の経験、知るところから、関連して3点の指摘をさせていただきたいと思います。 
 
 先ず、ひとつ目のことは
1,  匿名で寄付がされることは、有名な聖書のイエス・キリストの言葉で、マタイ福音書6章3節の御教えを思わせて、たいへん美しいことではあるのですが、残 念なことに、社会福祉法人のへの寄付行為というのは、所得税法上の控除が受けられるということがあまりにも知られていないということです。

国税局のウェブです。

 条件は、米国等に比べると良くないのかもしれませんが、所得税等における寄付控除が受けられることについては、今回の騒ぎの中で、テレビなどでもほとんど報道や、ワイドショーでも取り扱いが無かったことに驚きました。
 ある人からは「別に控除のメリットのために寄付するんじゃない!」というご意見もあるかと思いますが、その美しさも尊いと思うのですが、施設にとっては、寄付金の量が多いことにもやはりメリットがあるといえるでしょう。
 ですから、その控除の存在が知られることで、更に多くの寄付が施設の子ども達に向けられ、多くの人達が寄付をしやすい、更に寄付行為をしたいと思う様な状況になったらもっと良いのではないかと思うのです。
 マスメディアでこのことについてあまり説明されない理由は、国税が減ることを恐れいているのではないか?と勘ぐってしまいます。確かに国の財政も厳しいのですが.... もしそうであるならば、やはり残念な気がします。


二つ目は
2,寄付がされる尊さと、その愛の行為がされる中で、子どもたち(〜18歳)が、その愛を純粋に感じ、受け取る心が本当に施設において育てられているか? ということです。
 というよりは、施設が「育てようとしているか」「育てるためのフィロソフィーが確立しているか」「そのためのスタッフの教育、また、職員達にそのような生き方の指導ができる様な明確な理念があるか」ということです。
 この点は、なかなか難しいことで、また、外からは見えにくいことであると思えます。
 「厳しい環境から、施設に来ているので、『物』が与えられることは、嬉しいことで、喜ぶに決まっている」という認識は必ずしも当てはまらないという面を、私は見てきました。
 「慰問品」「寄付金」が施設にされて、子ども達のレベルで「嬉しい!」「感謝!」ということに、繋がりにくいということもあるのです。
  現在はどうかわかりませんが、私が育った時代には、学校等で「公共物」に対する、愛着や、そういった物を大切にするという意識が、著しく低くなる傾向があ りました。自分の物や自分の家の物、他人でも個人が所有する物については大切にするという意識が生まれますが、そうではない「公共物」については、粗末に 扱ったり、行き過ぎると、簡単に破損させてしまう、というようなことが起こっているのを、たくさん見てきました。学校等の公共物が比較的、個人の物より消 耗が早かったりするのは、そこに起因している場合があります。
 残念ながら、同じように、「施設」ということになると、そこにいる子どもにとって、同じような感覚が生まれる場合がある様です。
  家庭の場合ですと、お父さんやお母さんが苦労して働いて、疲れて帰ってきて、そこまでして働いたお金で、ひとつ一つ物を買っているという事実、そのリアリティの中で育つのと、生活の場にあるほとんどの物が、あたかも「自然に与えられている」かのような、すべての物が「在って当たり前」の感覚で生活するので はずいぶん価値観も変わっていきます。
 つい、母親が口にしてしまう「今月は生活費が苦しい!」なんていう言葉を聞くことがないことで、生活の場に存在している「物」の意味が違ってきてしまう様なことがあります。

 やはり、そこには「生かされている」「愛されている」ということが、本当の意味で、成長の段階に応じて、理解できる様な育成が必要だということだと思います。 
 多くの施設では、その取り組みが常になされているかとは思います。
  あえて私などが、いろいろ指摘することではないのですが、「環境上養護を用する児童」に対して、国の政策として「衣・食・住」だけを提供していることでは なくて、「心」を育てていく教育がそういう場だからこそ進められていく、根底に流れる育成のに対する強い基本理念が確立し、それが実践されるための確実な 実行力があると無いとでは大きく変わってくるはずです。
 児童養護施設で働こうとするスタッフひとり一人に、まさに、そのような強い理念が備わっている必要があるのだと思います。

最後に
3,報道などで、児童養護施設における子どもさん日常生活費一人当たり4万数千円ということが、度々紹介されています。
それが「安い」のか? というと、テレビのコメンテーター等も反応が様々で、決して「安すぎる」という様なことは言われないことの方が多いようです。
 恐らく、一般の方々の多くも「安すぎない」と感じておられる様で、いや、むしろ、一般家庭の方がもっと子ども一人当たりの生活費は少ないだろう!と言われる方も少なくないと思われます。

 そして、これまたほとんど報道はされませんが、いわゆる生活費4万数千円というのは、施設にとっては事業費であって、この他に事務費=主に職員の雇用する費用などが別にあります。
 これが私が勤めていた10数年前ですが、やはり基準は子どもさん一人当たり10数万円ということになります。
 ですから、合計で事業費+事務費=では、児童一人当たり16~17万円が、ひと月の施設が国や都道府県政令指定都市から受ける費用であるということで、さほど間違いがないかと思われます。
 これが、高いか?安いか?というのも本当に難しいところだと思います。
  事務職をしていた時代に、全国児童養護施設協議会の事務職員があつまる様な研修がありましたけれども、厚生省(現在の厚生労働相)の担当官僚の方なども参加されていて、もっとお金が「施設のために何とかならないか?」「施設が赤字でやっていけない!」なんて話を実務者の間では良くされました。つまり、「施 設運営のためにはこの金額では充分なことはできない」というのが大枠の考え方でした。
 私自身も施設の決算を見るときにそう感じましたし、「もっとゆとりがあればな〜」というようなことをいつも考えていました。

 ただ、やはり子ども一人を養育するために月に16~17万という金額が本当に少ないか? ということを国民目線のレベルで考えるとちょっと違う見え方がしてしまうかもしれません。

 ひとつは、運営する側としては、それをうまくやっていくための、パフォーマンスを高める努力、アイディア、マネージメントということが必要でしょう。
  「人を一人雇うのにどれだけかかると思ってんだ!」と怒られそうですが、やはり、そこにも充分工夫が必要ですし、発想も変えていかなければならない面もあるかと思います。そして、人の雇い方についても、「行政の縛り」もあるので、あまり勝手なことはできないという現実もあります。
 ただ、昨今指摘される行政のやることはお金がかかり過ぎる、といった面は確かにありました。国の補助金制度も「的を得た」ものだったとは決していえません。
 例えば、施設建設を考えても、建物は「箱物」といえる面が大きく、それを建てるための補助金の在り方なども、コストパフォーマンスの高いやり方というのがやはり無いわけです。鉄筋コンクリートのビルを新規に建てることを考えれば、アイ◯ルホームやタ◯ホーム、中古のマンション等を利用すること で、下手をすれば10分の1の値段になってしまうかもしれません。確かに、「良い環境」ということでは、「粗末な家」という印象は良くないわけですが、そこにお金をかける前に、できることがある様な気がします。
 
  人員配置のことを考えてもそうです。私自身のことを考えると、当時私がいただいていた給与は現在の謝儀の約倍です! それでも今、豊かに暮らさせていただいているのが現実です。

 キリスト教系や創設者や施設長さんがクリスチャンという施設は、その成り立ちから圧倒的に多いわけですが、まさに、その精神から、教会やクリスチャンがこの課題に取り組むことができないかと、勝手に思っています。
 国策としても今後どうなるかわかりませんが、カトリック系の施設では、ボランティアで働くシスターの先生などがいて、規定の職員数より、実際の働くスタッフが多いなんていうことも少なくありません。
 日本社会の困難なリアリティの中に生きるクリスチャンの若者が、もっと児童養護施設の児童指導員や保育士になることができればと願います。 時間を「主に捧げる」という使命の中で、このような働きに携われることが理想的です。
(この就職難な時代には、志があってもなかなか採用されないという様なことも出てくるとおもいますし、この「タイガーマスク運動」で注目されているので、ますます難しくなるかな〜)
 また、関わりが許していただける児童養護施設があるならば、キャンプや、ユースミニストリー等でガンガン活躍している若いクリスチャンにも、そういった場でボランティアができたら良いのではと考えます。
 ・学習の指導、遊びの相手、悩みの相談 等々
 
と、本当に好き勝手なことを言わせていただきましたが、不適切な点がありましたらお許し下さい。

 あるクリスチャンの児童養護施設では、夏に松原湖バイブルキャンプに参加者を送っているそうです。
その施設のチャプレンが日本D教団の理事長で、MBCのOBですから、うなづけますけれども、キャンプ宣教の領域からも、良きアプローチができるようになることを願うものです。



クリスチャンキャンプスタッフの態度

 古い夏の受付の様子
(コラムの内容には関係ありませんが、ちと古い画像ですね)

 「キャンプスタッフとしてどうあるべきか?」それ以前に「クリスチャンとしてどうあるべきか?」ということはいつも考えさせられるところです。
 
 OBCのスタッフの在り方、また、「求められる態度」ということを考えた時に、やはり、かつのて評価が著しく低い時代を思い出さざろうえません。
 
 「クリスチャン宿泊施設」ということで、御利用なさる皆さんもそこに期待する部分が多いわけですけれども、かつて、スタッフの対応や、態度が悪いことに驚いてしまうような状況が現実にあったということです。
 その改善の為に、まずは自分自身がそれを理解し、自分自身の態度を常に見直し、確認するということと、他のスタッフが接客(?接御利用される皆様)について、改善できるようにどうしたら良いのか?ということを、悩みながら前任のディレクターとも取り組んだ課題でした。
 
 ひとつはOBCが米国宣教団と宣教師によって運営されているということの中で、そのような接遇マナーは日本人の感覚と違っているということも背景の原因でした。
 日本人が米国に旅行すると、レストラン等でウエイトレス等の態度が悪いのにも関わらず、チップを取られるということにとても納得がいかない、という経験をします。彼等からすれば、決して態度が悪いというつもりが無くとも「日本人の目」、「日本人の常識」から見たときにに明らかに「悪い」という風に見えてしまうのです。
 しかし、日本のクリスチャンキャンプにおいて、「それがアメリカのやり方だ!」とか、「ここは宣教団の施設だから!」というのが通用するわけがありません。
 ただ、そんなことを考えながらも、実はかつて「アメリカの方」からも「OBCスタッフの対応が悪い」と指摘されたことがあったそうです。
 この問題というのは、そういうレベルの話しではなかった事実であることもわかりました。
 感謝なことは、OBCを利用された神学校の先輩や、母教会の方々にも、そのことを指摘されたことです。
 嬉しいことではありませんでしたが、それが外部で言い伝えられ、わたしたちが知らない、という状況より、それが勝っているからです。改善の努力を願って伝えてくださっているのです。


  「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。」
マタイ福音書5:20

 キャンプのスタッフになってから、松原湖バイブルキャンプというクリスチャンキャンプでの奉仕の機会が何度か与えられました。
 特にあるキャンプでリーダーをさせていただいたときですけれども、グランドワーカーの方々、オフィスワーカーの方々、それぞれ無償で奉仕しておられるにも関わらず、キャンププログラムができるだけ良いものとなるために、リーダーに協力してくださる姿勢にたいへん驚かされました。もちろん、キャンパーや、来場者すべてに対しても、もちろんそうです。
 丁寧で、いろいろな点で行き届いていて、失礼の無い言葉遣いを常に心がけ、誠実さが顔にもあらわれている!
 全国的に好評となるキャンプ場の理由はこういうところにもあるのです。

 当たり前のことだと思われるかもしれませんが、それが「パリサイ人の義にまさる」という一面をみたように思います。
 日本では、高いレストランでなくても、店員の態度はある程度のものが求められ、実行されてます。外国の方が日本に旅行してこられて喜ばれるのは、人々の「態度」であるということがよく言われます。
 お店の店員さんは「給料をもらって」その「態度」を、ある面、提供しているわけですけれども、キリスト者はそういうことではなく「良い対応」が求められ、そしてそれに「まさる」必要があるのです。 そして、それを強いられてやるのではなくて、喜んで、心からできることに価値があります。

 わたしたちは今でも、足りなさは感じさせられます。
 巷では「公務員」の悪態が指摘され、改善がなされつつありますが、私も、前職が公金を賜って仕事をする職場でしたので、「接遇訓練」は受けておりません....

 また、現在でも、松原湖の様な形には、程遠い状況であることは否めません。

 しかし、御言葉の確信の中で、常任スタッフが認識を新たにし、そして、それが主の栄光を表すということ=そこにキャンプ宣教が前進する鍵があることを、理解していくことができればと願うものであります。







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